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TALKS

仙台写真月間 2021

赤坂憲雄 × 山田なつみ
対談

<後編>

「私はここを出ていきます。ここを支配しているのは悪意や嫉妬や無関心や暴力よ」
 

映画「白いリボン」(ミヒャエル・ハネケ監督)より


この作品は、パリ生活の締めくくりとして最後に劇場で観た忘れられないモノクロ映画だと山田は言います。第一次世界大戦の予兆を感じる、ドイツの小さな保守的な村が舞台。不可解な事件が次々と起こります。上記の男爵夫人が夫に別れを告げるシーンには緊張が走ります。彼女は声を持ってはいけない周縁的な村人(子ども、女、障がい者)の感情を代弁しているかのよう。衣裳演出として、黒い服を身につける特権階級(男爵、医師、牧師)の男たち。それとは対照的に、女性や子どもたちは白い服を身につけています。黒い男達は純真であることを忘れぬよう、子どもたちに白いリボンを巻きつけます。就寝時も白いリボンでベッドに巻き付けられる子どももいます。肉体の痛みや精神の苦しみを連想させる白いリボン。黒い男たちの存在がその存在感をより一層際立たせるのです。


そもそも、眼差しには性差があるのでしょうか?

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全く違う眼差しを持つ、男性と女性

 

山田:

先生は著作『性食考』の中で「男であることを宙吊りにしたい」と記しています。それは具体的にどんなことですか?

 

赤坂:

僕は長年、村々を延べ歩いてたくさんの人々から直接お話を聞いてきました。例えば、まずある男性に質問を問いかけて、話を聞きます。そして時間を経て、同じ質問を女性に問いかけると、全く違う答えが返ってくるのです。違う解釈だし、まったく違う世界観で生きているようでした。このようなことがたくさんありました。つまり、同じ話でも男性と女性とでは視点が全く異なるということです。貧しく子どもを育てられない寒村のイエでは、胞衣壺(えなつぼ)(※2)には間引いた子どもの遺体も入れていた。ただし、それは決して口外はできないし、その母親だけが知っていることです。考古学も民俗学も、昔から学問は男がずっと占有してきましたし、女性の“穢れ”みたいなものを語ってきましたが、僕はそこにずっと違和感を抱いていたのです。当事者として女性たちが体験した想いや解釈が、外から眺めている男たちの解釈や言葉とずれてしまっている。にもかかわらず、男たちの言葉が世界を覆ってきたという感触がありました。

 

※2:胞衣(人間の胎盤、後産)を埋納する際に納める土器。下の写真:仙台市 縄文の森広場にて撮影

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山田:

(大きく頷く)。私も幼い頃、祖父から「女のくせに」と事あるごとに言われていました。とても不公平だなと思っていましたが、彼にとってはそれが真っ当な意見だったのです。

 

赤坂:

『性食考』という本を書いた時も、どうして大好きな女性に向かって「食べちゃいたいほど可愛い」と男は言うのか。男性の眼差しで語ることと、女性の眼差しで語ることはたぶん違うと思います。芥川龍之介は付き合っていた女性に宛てた恋文の中で「この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい気がします」と書く。でも、それを聞いた女性はどのように感じるでしょう。そのセリフの持っている見えない暴力性は何かで誤魔化されているけれど、そこには権力なども絡んでいる。そんなことをずっと追いかけているうちに(本の中にも書きましたが)、女子学生が教えてくれたヘレン・マクロイ(Helen McCloy)のSF小説『ところかわれば』を読んで以来、自分の思考を意識して全部ひっくり返したのです。そして「食べちゃいたいほど可愛い」とはそれほど牧歌的な言葉ではないな、相手を支配し、思うように扱える権力関係や暴力性を背負っているんだな、という結論に行き着いたのです。そもそも、僕の場合は、最初に結論があってそこに向かって行くのではなく、辿っていくうちに結論が見えくる。そこで「男であることを宙吊りにしたい」と書いたのです。女性の研究者が増えて、もっと違った視点から歴史や世界を調査研究できれば、全く違った眼差しを呈示できるのではないかと思います。

 

山田:

「Knowing is one thing, but doing is quite another(知識と行動は全く別物だ)」という英語の諺があります。先生の初期の著作は、書物(Knowing)から得た知識が主でした。しかし、時代を経て、先生は敷居をまたいで、知識から行動へと移っていったことが文体から読み取れます。そして今は、知識と行動を往来しているようです。

 

赤坂:

初期の文体は硬くて読みづらい。頭でっかちでしたね。東北にフィールドを求めて、歩き始めたときに、聞き書きを求めて、おじいちゃん・おばあちゃんの家を訪ね歩きました。でも僕は、そのおじいちゃん・おばあちゃんに語りかけて、届く言葉を持っていなかった。それで、そのおばあちゃんたちに届く言葉が欲しいなと思ったのです。そうすると僕の中で言葉がどんどん変わっていって、優しくなっていきました。僕は20年間続けてきた東北での「延べ歩き」で鍛えられたし、学びました。

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山田:

先生が前述していらっしゃった「眼差し」についてですが、フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)(※3)は、覗き穴から一方的な視線を受ける人は「他有化」されると説いています。つまりその眼差しを浴びる人は、眼差しを送る他者の所有物になってしまう。ファインダー越しに被写体と一方的な関係を持つ写真は、「他有化」です。2010年にパリのアパルトマンを引き払い、彼(今の夫)と一緒に暮らすために福島へ移住すると決心したとき、私の周りのフランスの友人達は誰も福島の名前も場所も知らず、『フクシマ?え、どこ?聞いたことないよ』という反応で、関心を示す人はほとんどいませんでした。それが一変したのは、東日本大震災の2011年3月11日です。私の住んでいた福島は世界中のメディアの眼差しを一斉に受けました。郡山駅周辺には国内外の各メディアの特派員の姿が多々見られ、わが街が「他有化」された感覚を覚えました。

 

※3:ジャン=ポール・サルトル(1905~1980年)---フランスの哲学者・小説家・劇作家・文学者。無神論的実在主義を主唱。

 

赤坂:

あの時は戦場でしたから。

 

山田:

私は東北生まれ、東北育ちです。7年間住んだパリを離れて、たまたま偶然、福島に戻ってきました。私たちはただ、一方的に見られているだけで、一言も自ら発することが許されないような雰囲気がありました。先にメディアの結論があり、その元に私たち住民の言い分が編集されているように感じました。だからこそ私は、「外部の他者ではなく、内側にいる住民であり、当事者のひとりとして、女性として、語ることはできないだろうか」と模索し始めたのです。ですから、一方的に視線を浴びる住民という立場では、他有化、つまり所有されているので対等な関係を築くことができません。ですから私は国内ではなく、第2の故郷であるフランスで写真展を開催しようと決心しました。東日本大震災の後も写真作品を作り続けて、パリへ営業に行きました。そして2014年、娘を出産した翌日に「パリで写真展を開いてみないか?」とパリのギャラリー・ハヤサキ(Galerie Hayasaki)さんから企画展のご提案を受けました。きっとこの話が来たタイミングも何らかの「しるし」ではないか、我が子が無事に生まれ出てくるところまでの経緯や物語を、東北の女性の視点から語ろう、と思い定めたのです。

 

赤坂:

(大きく頷く)

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山田:

この「TOKϴYO(常世)」は、福島に住んでいた時に、2回立て続けに流産した経験がきっかけで本格的に制作に取り組んだ写真シリーズです。福島の奥会津で撮影を重ねるうちに、会津の金山町にあるおばあちゃんと仲良くなりました。しばらく顔を出さないと電話をかけてきてくれたり、沢庵漬けを持たせてくれたり、本当に私を孫のように気遣ってくれました。最初やってきた時は、おじいちゃん(ご主人)がご健在で、3人で仲良くお茶飲みをしていました。数年後、おじいちゃんが他界し、おばあちゃんは広い家で1人暮らしになりました。2人きりでお茶飲みしている時、私は「会津を繰り返し訪れていると、死んだ水子に会えるような気がしてならないんだ」と本当の“動機”を彼女に打ち明けてみたのです。すると、先ほどの先生のお話にもありましたが、この地方では水子や胞衣(臍帯)を壺に入れて、土間の出入口に埋める古い習慣があったことを教えてくれました。そうすることによって死んでも、近しく感じられるのだと。東北では生と死の境界線が非常に曖昧で、生者が行き交う玄関口に死の紋章が埋められていたことを知りました。彼女との出会いによって気づかされたのは、自分の身に降りかかったことが、特別なことではなく、東北の女性が悶々としながらも言葉に出せなかったという事でした。

 

赤坂:

(東北の女性は)自分の言葉を持つということが、きっと禁じられていたんですね。山田さんは女性で、流産という悲しい経験したからこそ、おばあちゃんから本当の話を聞くことができた。仮に僕がそのおばあちゃんの家へ行ったとしても、その話を聞く事はできなかったでしょう。先ほども申し上げたように、考古学や民俗学も含め、学問は男たちが占領してきた。でも果たして、そこには女性の視点が含まれているのでしょうか。そして、女性の視点抜きで、私たちは正しく歴史を認識できるのでしょうか。

 

洞窟の壁画は男性によるものなのか?

 

赤坂:

さきほど山田さんは、フランスの遺跡についても触れていましたが、ネガディヴハンド(※4)はありましたか?

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山田:

ありました。

 

赤坂:

やはりあるのですね。洞窟遺跡はシャーマンによって描かれているというのが定説です。でもシャーマンは勝手に男だと思い込んでいませんか?描かれたダイナミックな造形は男たちによるものだって。

 

山田:

確かに、男性であるという思い込みや刷り込みはありますね。ネガティヴハンドのやり方を再現したビデオも現地で見ましたが、モデルは当然のように男性でした。

 

赤坂:

ペンシルバニア州立大学の考古学者、ディーン・スノウ(Dean Snow)氏はフランスとスペインの洞窟壁画のネガティブハンドを研究して、特定の指の相対的な長さを比較することにより、手形の4分の3が女性であると発表したんです。ほとんどの学者は、これらの古代の芸術家は主に男性であると想定している。でもそれは不当な仮説です。女性は、ほぼ同じ長さの薬指と人差し指を持っている傾向があり、一方、男性の薬指は人差し指よりも長くなる傾向がある。全ての手形を調べて、データ化したところ、ネガティブハンドの75%は女性だという発表が出されたのです。ずっと男によるものだと誰もが思っていたし、誰も女性だなんて思わなかった。暗い洞窟に入って行って絵を描いて、自分のしるしをつけるなんて、勝手に男のシャーマンがやっているんだろうと。

​下記:米 ナショナルジオグラフィックのHPから。動物を囲むような複数のネガティブ・ハンド。

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山田:

私が見たのは彫刻作品でしたが、岩の凹凸を利用して動物が躍動的に造形されていました。ロッコソルシエにいた学芸員の方は「当時の映画や動画作品だったのではないか」と言っていました。ランプや松明(たいまつ)を使って彫っていくわけですが、全体像を見たときに電気とは違って光源が揺れるので、暗闇で見たときにまるで実際に動いているように見えて、躍動感が生まれるそうです。でも、そのアーティストが女性だとしたら……。

 

赤坂:

どうです?その意味がひっくり返るでしょう。ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)(※5)の(死とエロティシズムが生の限界体験であるとした)「エロティシズム」の中で、彼がつくった場面では、動物の毛皮をまとったシャーマンが男根像を立たせているシーンがある。そうすると、誰もがシャーマンは男だと何の異議もなく受け入れてしまう。何の証拠もなく、男性による作品だと受け取ってきたものが、女性だと言われたらひっくり返りますよね。アートは男性が主権を握ってきたけれども、1万5000年前の洞窟で女性が作品を作っていたとしたら、全く意味が変わってくるはずです。

 

※5:ジョルジュ・バタイユ(1897~1962年)---フランスの思想家・小説家。無神論の立場から、人間の至高の在り方を追求した。

 

山田:

「何故、私たちは男性の語る物語が皆にとって均しく重要な物語で、女性の語る物語は女性だけに関係あるものだと考えるのでしょう?」と問いかけた英国の舞台演出家、ジュード・ケリー(Jude Kelly)のTED講演を思い出しました。彼女は「ウーマン・オブ・ザ・ワールド(Women of the World :WOW)」という祭典をプロデュースし、5大陸20カ国で女性アーティストの支援を通じて啓蒙活動をしています。彼女は先史時代に描かれた壁画を見るために、アフリカのソマリランドにあるラース・ゲール(Laas Geel)岩陰遺跡を訪ねたそうです。そして「これを描いた男性や女性のことを教えてください」と現地キュレーターに尋ねたそうです。するとその男性キュレーターは嫌な顔をして「女性は描いてません」と答えた。「1万1000年前のことでしょう?どうして分かるのですか?」と食い下がると、そのキュレーターは「女性はこうした作業はしないものです。男性がこれらを描いたんです。女性ではありません」と強調したそうです。

下記:「ラース・ゲール」遺跡、大英博物館HPから

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赤坂:

そうですね。洞窟というと、男たちは勝手に「大地の子宮」を中心に考えて、聖なる暗がりで聖なるペインティングをすると勝手に決めつけ、そこに縛られています。ジェンダーだけではなく、男性の思い込みや偏見で世界を色付けて、眺めてしまっていると言えるのではないでしょうか。

対談後記

  サイン・シンボル大辞典(三省堂)によれば、ギター、銃、スポーツカー、そしてロケットが現代の男根象徴に該当します。男根の形をもつ物体は「力」と関連づけられることが多く、特にロケットは古典的な男根の形態をとり、「噴射」をはじめ関連用語にも性的な意味合いがつきまとっています。これは、宇宙に対する男性の征服欲の表れとも解釈できるそうです。
 山田が制作拠点とする宮城県角田市の中心には、慶長3年(1598年)以来、明治維新に至る14代270年間、為政家として町の基礎を築いた石川家の御廟があり、すぐ横に実寸大(全長49m、直径4m)のH2ロケット模型が建てられています。四方に神聖な山を望めるよう造成された高台の台地、街の中心にあるお墓、横にロケット(男根象徴)。この連続性は単なる偶然でしょうか?東北人が無意識下に形成した縄文の痕跡でしょうか?(おわり)

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赤坂憲雄
1953年生まれ。東京大学文学部卒業。民俗学者。学習院大学教授。2020年3月までの17年間、福島県立博物館館長を務める。東北学を提唱し、『東北学』(東北芸術工科大学 東北文化研究センター 1999)を創刊。東北各地をフィールドにして、聞き書きの旅を続けながら、東北の文化風土を探究してきた。『岡本太郎の見た日本』(岩波書店 2007)、『性食考』(岩波書店2017)、『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店2019)などがある。

山田なつみ

1980年山形県生まれ。写真家。2003年に渡仏。ソルボンヌ・ヌーヴェル大学卒業。アルバイト先でマグナムのフォトグラファーと出会う好機に恵まれ、次第に独学で写真を始める。10年に帰国し福島に住む。東日本大震災で自宅が全壊し、宮城県角田市へ移住。一貫してフイルム用い、目には見えない世界を写真に反映することを試みる。世界各国のグループ展に参加。2016 年、パリ中心地区のギャラリー、12 店舗の協力を得て写真展「TOKϴYO(常世)」を開催。2021年4月  リコーイメージングスクエア東京にて同展を開催。

対談企画:仙台写真月間2021
企画助成:公益財団法人 仙台市市民文化事業団
撮影:小岩勉
​編集協力:深谷昌代
特別協力:仙台市縄文の森広場、リコーイメージング株式会社Galerie Hayasaki (Paris)

 
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