TALKS

仙台写真月間 2021

赤坂憲雄 × 山田なつみ
対談

<前編>

「あなたの意図が抽象的で、今の、東北から距離がうまれている私がどこまで対応できるのか、いささか心もとないところがあります」
 

 

 

 対談前、赤坂憲雄氏が山田なつみに宛てたメールにはこう記されていました。この対談が実現するのだろうか?という不安と同時に、「どうして自分は写真に惹かれるのだろう?」「どうして写真を表現媒体とするのか?」という問いが写真家の心の内に生まれます。ただ確かなことは、社会的に周縁に追いやられた時に、無心でシャッターを切ってきた彼女自身の姿があるということです。立て続けに流産した時、東日本大震災で家を失った時、子育てをめぐって夫の協力/理解が得られない時、女性であることを不利に感じた時、弱者に追いやられた時——。写真家、山田なつみの内面で激しく渦巻くのは、言葉にできない抽象的な力。その力が彼女の両手に重い中判のフィルムカメラを持たせ、写真へと向かわせます。
 

 

      “ 錬金術にも似た繊細な作業を通じて、私たちの内面 — 私の写真家 — 人間としての内面 — と私たちの外で生き、私たちがいなくとも存在し、撮影した後も存在し続ける外的な存在物との均衡点を探し当てる方に向かわなければなりません。”
               

(ルイジ・ギッリ『写真講義』第1章 「自分を忘れる」より)

縄文時代の円環とは

 

山田:

はじめまして、本日はどうぞよろしくお願いいたします。赤坂先生と今回対談させていただくきっかけとなったのが、1998年10月に宮城県美術館で行われた「東北の形象」展です。先生が展覧会の図録に寄稿された『円環と祈り ― 生と死の紋章をめぐって―』を再読し、とても感動しました。そして、パリと東京で開催した私の写真展「TOKϴYO(常世)」と符合する箇所が多く見られました。まさしく私が写真シリーズで表現したかった東北の世界観が、端的に執筆されていました。今日、私たちは仙台市の「縄文の森広場」に来ています。こちらは約4000年前の縄文人が集落を作り、生活していた山田上ノ台遺跡を保存する施設で、この遺跡は舌状台地上にあります。

 私たちの先祖である縄文人は、環状列石(かんじょうれっせき)(※1)を築き、祈りによってさまざまな事象に対処していました。秋田県にも、縄文人の祈りの場であった大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)があります。その形はまさしく「円環(えんかん)」です。私は写真の神話性を高めるために、東北に残された円環という形を意識して写真展を構成しました。始まりも終わりもなく(出口も入り口もなく)、順路はどちらの方向からでも見られるように配慮しました。

 

※1:自然石を環状に並べたもの。「ストーンサークル」とも呼ばれている。下、写真:山田が訪れた北海道音江町の環状列石。

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赤坂:

はじめまして、本日はよろしくお願いします。山田さんがどうして円形に関心を持ったのか、すごく興味があります。円には確かに始まりも終わりもないのですが、それは円周の話であって、そこには必ず中心がある。つまり、中心と周縁を持ってしまう権力の空間にもなります。もしかしたら、円環にはそういうせめぎ合いがあるのかもしれない。

 

山田:

私は山形で生まれ育ったのですが、幼い頃の心象風景として脳裏に焼き付いているのが、雪深い風景です。真っ白な世界に登る朝日は、幼い私の目には空に浮かぶ穴に見えました。空の上にあるけれど、下にも横にも広がっているような光り輝く穴です。その向こう側には、身体も言葉も必要としない別世界があると強く信じていました。神様の世界、死後の世界とはまた違った空間を想像していました。東北の3世代同居家族に生まれ育ったことによって、生と死が渾然一体となった「常世」のような世界観に親しんでいたのだと思います。

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土木工事を行っていた縄文人

 

赤坂:なるほど。環状列石に関しては、最初から円環というイメージを持って作っていたという説もあれば、作っているうちに丸くなってしまったという説もありますが、僕は明らかに「円環」を意識して作っていたと考えています。大湯のストーンサークルは東西南北を意識して作られています。青森の小牧野遺跡もストーンサークルで、江戸時代にはその中に据えられていた男根が道祖神(※2)として崇められていました。後に、下に埋まっていたストーンサークルが掘り起こされて発見されたのですが、縄文人は明らかに土木工事を行っていました。八幡平(※3)を背に、岩木山(※4)を中央に望む聖なる場所を選び、斜面を切って、台地を作っていたのです。大湯にも小牧野にも、必ず一番眺めの良いビューポイントがあります。つまり、円環を意識して、土木工事も行い、台地を作り出しているということです。太陽の運行なども意識していて、大湯のストーンサークルは日時計として男根を配しています。円環には始めも終わりもありませんが、入り口は決まっている。くぼんだ部分が入り口なのですが、そこには焼け焦げた石があるので、きっと火祭りでもしていたのでしょう。強調したいのは、ビューポイントがあり、円環を意識して作っていなかったら、生まれてこなかった形象だということです。

 

※2:村境、峠、辻などの道端にあり、外来の疫病や悪霊の侵入を防ぐ神。また、「あの世」の入り口にある神。

※3:はちまんたい---岩手・秋田両県にまたがる火山。高原状をなし、標高1614メートル。

※4:青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山。

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縄文人は「死」を身近に感じていた

 

山田:

福島の会津にも道祖神として、かなりの数の石棒(※5)が点在しています。田んぼの畦道に無造作に置かれていたり、村と神域である山の境界線としての役割を担っていたりもします。それらも縄文時代の石棒を転用した可能性があるのでしょうか?

 

※5:縄文時代の磨製石器のひとつ。男根を模したと考えられる呪術・祭祀に関連した特殊な道具とみられる。

 

<下の写真:会津の道祖神と石棒>

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赤坂:

ありえますね。僕は大湯のストーンサークルを初めて見た時、縄文の円環に関心を持ちました。最初は「あの円環はなんだろう?」と思ったのですが、その中心に墓地があった。つまり、縄文人の世界観のなかでは「死」というものは穢れ(けがれ)として忌(い)まれるものではなかったのではないかと推測できます。集落の真ん中に広場があって、そこに先祖が眠っているという構図は、弥生時代に一変します。神奈川のある弥生時代の遺跡には集落の周りに堀があって、死者は集落から50メートルぐらい離れた村のはずれに子供が埋葬されていました。僕の目には、弥生の世界では死との距離が遠く、死を穢れとして排除しているように映ったのです。

 縄文と弥生の違いはとても大事なことです。縄文時代には幼くして亡くなった子の遺体を土器に入れ、石と一緒に竪穴式住居の入り口に埋葬していました。円環が持つ象徴的な意味合いは、死を内包しているということです。幼い子の死も、円形の住居の入り口に埋葬する形で抱え込んでいますし、穢れとして遠ざけようとはしていません。「縄文の人たちは、精神的にもそういう(死を近く感じる)構造を持っていたのではないか?」僕が一生懸命探していたものは、「東北の円環が持つ、歴史のかけらが今もあるのではないか?」という問いに合った答えです。後に、東北地方には、幼い子の遺体や間引かれた子どもたちは、家の入り口に埋葬されるという習俗があることを知りましたが、考古学的にもこの習俗が縄文時代から繋がっているのだという察しがつきます。円環というものは沈んでいってしまったけれども、習俗の根元にあったもの、死との距離などは変わっていないのではないかと思います。

 

山田:

そうですね。私も以前、東北でそのような話を聞いたことがあります。ここ縄文の広場にも、幼子を入れていたとされる「埋設土器」が出土されています。後ほど詳しく話しますが、会津のあるおばあちゃんから死んだ子や胎盤を入れる習俗があったことを聞き、心に響きました。

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赤坂:

沈んでいってしまった円環のかけらを探していく過程で、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』(※6)に惹かれました。生活のために熊を殺してきた猟師が、最後は熊に殺されて祭壇のようなところに置かれる。そして熊達は、回回(ふいふい)教徒(イスラム教徒)のごとく周りを丸く囲んで供養して鎮魂し、猟師をあの世へ送るという物語です。例えば盆踊りにも輪になって踊るという形があるように、芸能や祭祀(さいし)の中に円環というものが取り込まれているのではないでしょうか。こういう目線で円環の形象を掘り起こしてみたいと考えていますし、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』にはいつも励まされています。

※6:岩手県出身の宮沢賢治が執筆した童話。「なめとこ山」は賢治が名付けた架空の山であると思われていたが、後に岩手県に実在する山(ナメトコ山)であったことが判明している。

山田:

宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のラストシーンは確かに印象的です。葬られる側と葬る側が対等関係にあるのですから。

赤坂:

  しかも最後は、熊ではなく人間が葬送される。一方で、円環という形は意外なほどに見えてこないと感じることがあります。円環の持っている権力性、中心と周縁を持っている構図は抽象的な形でもある。山田さんが「始まりも終わりもない」と言っている円環の形象は、百姓一揆の連判状に近いものだと思います。首謀者が誰かわからないように、一点を中心に四方八方へ伸びでるように名前が書いてあり、そこには始まりも終わりもないので、円環の持つ平等性がある。

  中心と周縁を持つ構図のなかで、人が人を支配したり、暴力的に抑え込んだりする円環も同時に出てきていると感じます。福島県相馬市の三貫地貝塚では、1.5メートルぐらいの人骨を円環状に並べて埋葬していて、その傍らに犬の骨が埋葬されています。あの円環は平等で、誰か特権的な人はいない。それを全く同じものをある南の島で見たことがあります。荒らされる可能性もあるので名前は伏せますが、人間の頭蓋骨や大腿骨を円状に並べている。でも、北陸の環状木柱列などには入り口があります。そこには円環の持つ中心と周縁に表される権力性と暴力性、そして始まりも終わりもない平等性、その両者の重なり合いがきっとあるのでしょう。『なめとこ山の熊』の話にもあったように、円環は、中心を支配していたものが、周縁を暴力的に抑え込むような象徴性も併せ持っているのではないでしょうか。

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フランスと日本の遺跡の共通点
 
山田:
2019年に家族でフランスを訪れた際、偶然にも滞在先のシャトーでクロマニョン人たちが祈りの場としていた洞窟遺跡のパンフレットを見つけました。導かれるようにして現地を訪れ、強い祈りの痕跡を感じました。
 
赤坂:
そこはラスコー洞窟ですか?

山田:
ラスコー洞窟から100キロほど離れたマドレーヌ期(※7)後期の遺跡で、アングリン川とギャルタンプ川の合流点の近くにあるロッコソルシエ(Roc-aux-Sorciers)遺跡です。約1万5000年前の遺跡で、アングリン川の右岸の崖に位置しています。ラスコーが洞窟壁画であるのに対して、こちらは岩陰彫刻です。凹凸を生かしてバイソン、ヤギ、カモシカ、ネコ科の動物が描かれつつ、それが立体の彫刻作品に仕上げられているのが特徴です。上流にはタイユブル(Taillebourg)洞窟遺跡、下流にはブルドア(Bourdois)岩陰遺跡の2部式からなる遺跡です。50mほどの立体彫刻帯を見ることができます。現在は原寸大のレプリカが一般公開されています。
 

※7:ヨーロッパ後期旧石器時代最後の文化。マドレーヌ文化ともいう。主としてフランス・スペインに遺跡分布し、ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画が有名。
下図:ロッコソルシエのヴィーナス(山田撮影)

 
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赤坂:

縄文時代の始まりぐらいですね。具体的にはどんなところでしたか?

 

山田:

ロッコソルシエという言葉を直訳すると「魔女達の集まる岩」に相当します。この遺跡は1927年 (昭和2年)に発見されました。キリスト教が派生する以前から、霊験あらたかな地だったのでしょう。中世にはキリスト教のチャペルがあったそうです。チャペルは原始宗教の聖地を転用し、利用していたことが窺い知れます。洞窟遺跡は1000年単位で同じところに繰り返し繰り返し描かれていて、最初に描かれたそこに動物、女性の上半身を3体合わせた、ギリシャ神話の三美神のような豊満なビーナス像もありました。日本もフランスも、「生」と「性」が密接に関わり合っていることに驚きました。特にヴィーナス像の女性の丸みをおびた肉体からは、強い生命力が伝わってきました。また、自分自身が妊娠から出産に至る過程で、母になるために円という形に身体が整えられていくような感覚を覚えました。お腹、胸、乳房、乳輪すべてが。皮肉にも、皮膚のすぐ下にある生命体を我々は視覚で見ることができません。ただ感じるのです。自分の内側にあるものなのに、目で捉えられない。私は2度も流産を経験したのですが、妊婦なので薬は服用できません。私にできたのは、内側にいる生命をただ感じ、ただ祈ること。それは縄文人達と何ら変わりません。