ARTIST TALK
西田幾多郎記念哲学館 The Raw Frissons of Life 〜生/静のゆらぎ〜 展
鈴木 亮三(同館研究員・文学博士)+ NATSOUMI(写真家) 対談


(1945年1月25日消印、務台理作宛西田幾多郎葉書、個人蔵)
NATSOUMI:
今日は私の写真展『The Raw Frissons of Life〜生/静のゆらぎ〜』にお越しいただきどうもありがとうございます。今日のトークは『娑婆と浄土』というテーマです。このテーマは西田幾多郎(*1)の親友だった、仏教学者の鈴木大拙(*2)の書物で論じられていたことだと思うのですが、これについて鈴木さん詳しく教えてください。
鈴木:
ずっと昔に、私は務台理作(*3)に宛てたものでした。その中に「大拙は極楽が娑婆に映り 娑婆が極楽に映つているといふ」と書いてありました。これは、西田幾多郎が最後の完結した論文「場所的論理と宗教的世界観」(『哲学論文集 第七』収録)の末尾に記されていたものとほぼ同じ文章です。「娑婆が浄土を映し、浄土が娑婆を映す、明鏡相照す、これが浄土と娑婆との聯貫性或は一如性を示唆するものであると云つて居る(鈴木大拙「浄土系思想論」一〇四頁」)。」この文章は、西田の親友の鈴木大拙の『浄土系思想論』のなかのものです。西田は、この論文を書き終えたのちに、さらにべつの論文を少しだけ書きはじめて逝去したので、これが西田にとって最後の引用文でした。私が手に入れた葉書は、西田が大拙の文章に感激して、弟子にも書き送っていたものです。『西田幾多郎全蔵書目録』という本が出版されていますが、西田が最後に引用した鈴木大拙の『浄土系思想論』の本は登録されていません。葉書を手に入れて以来、私は、ずっと探していました。ある日、私は西田家から西田幾多郎記念哲学館に寄贈された未整理の本を調べていたところ、その本があったのです。西田の読書法は、途中で面白くないと感じた場合や、その思想家の「骨」を把握したと思った場合には、それ以上読むのをやめてしまうというものですが、この本に関しては最後まで読んだ形跡があり、書き込みや線引きもたくさんしてあり、どんどん調べていくうちに、「娑婆と浄土」が私の研究のテーマになったのでした。そこへNATSOUMIさんにお会いしたという経緯がありました。
*1
西田幾多郎 にしだ きたろう
(1870-1945年) 石川県かほく市生まれ。帝国大学選科等で学び、地元石川の第四高等学校、山口高等学校、学習院を経て、1910年に京都帝国大学に着任。約20年間京都で過ごす。この間に主著『善の研究』を出版。西田は2男6女の計8人の子がいたが、そのうち次女、五女、双子のひとり、長男、四女、長女の6人、更には妻をも病気などで次々と亡くした。その経験から悲哀を主軸とした独自の哲学を確立。退官後は鎌倉へ移り、思索と執筆に明け暮れた。75歳、鎌倉の自宅にて永眠。遺骨は故郷かほく、京都、鎌倉に分骨された。
*2
鈴木大拙(貞太郎) すずき だいせつ(ていたろう)
(1870-1966年)金沢生まれの仏教思想家。中学時代に西田幾多郎と出会い、帝大選科等で学びつつ鎌倉で参禅。1897年に渡米し、出版社での編集や仏典の英訳に従事した。帰国後は学習院や大谷大学の教授を歴任。英文雑誌を刊行するなど、禅や仏教思想の海外普及に努めた。西田は晩年大拙の「即非の論理」から大きな刺激を受けている.他方、大拙も自らの思想を論理化する上で西田から大きな影響を受けた。終生の友である西田とは60年にわたり人格・思想面で深く影響を与え合った。1945年の西田の急逝には号泣したという。1966年死去、95歳。
*3
務台理作 むたい りさく
(1890-1974年)長野県生まれ。東京高師卒業後、京都帝国大学で西田幾多郎に師事。大谷大、台北大、東京文理大、慶大などの教授を歴任した。西田の信頼が厚く、その次男の家庭教師も務めた。西田の「場所の論理」から着想を得て、1944年に『場所の論理学』を上梓。西田から独自の論理的体系化を高く評価された。1949年には『西田哲学』を刊行。西田の思想を強く受け継いだ直弟子の一人である。享年84歳。

NATSOUMI:
鈴木さんからこのお話を伺った時に、まさしく私が写真で表現したいことだと思い、驚きました。そして、私も『浄土系思想論』を読んで心に残った文があります。
自己充足性の一面として、先に「本処を動ぜずして遍く十万に至る」と云ったが、この意味は、またこんな言葉で云い現されている、「無垢な荘厳の光は、一念に、および一時に、普く諸物の会を照らし、諸々の群生を利益する」と。(中略)自由とはただ無暗矢鱈な勝手放題ということではなく、創造とは今まで無いと思っていたものから新しきものを作り出すということではないのである。
鈴木大拙『浄土系思想論』
つまり、どこにも行かずして、ありふれた日常の中にこそ、浄土を見ることができると鈴木大拙は言っているのです。まさしく私は「生/静のゆらぎ」に通じるものがあると感じました。遠くに行くからいい写真が撮れるのでしょうか?自分が今いる場所で浄土をどう映すか、花を開かせられるかが大切なのです。それには私が見る「意思」を持ち続けなければならないのです。写真を撮るということは、自分の内側の世界に光を充てることだと思います。私の実家は曹洞宗で禅の影響を受けて育ったのですが、これは禅でいう「回向返照」だと思います。まず、自分の内側に光を充てることで見えてくる世界がある。そして、私はその世界を捉えたいのです。そこで、鈴木さんにお伺いします。西田幾多郎にとって自己の足元を掘り下げていく事は、どのような意味があるのでしょうか?

日常という娑婆で「生(Life)」を掘り下げる / 子育ての制約が生んだ、能動的意志と『回向返照』

À l’Aurore Bleutée 東雲 © NATSOUMI
鈴木:
この娑婆と浄土というのは、仏教の言葉です。でも、西田は西洋哲学の人なのにどうしてこのような言葉を使うのか、まずそこでつまずくと思うのです。娑婆と浄土というと、仏教の話だけをしているように思うのですが、そうでも無いのです。『淨土系思想論』と同じ時期に書かれた、鈴木大拙の『宗教経験の事実』に記されている一覧を見てください。

『無限』と『有限』というのは、西洋哲学でいう形而上学の話をしています。上の段の『無限』というのは、神や仏などの形がないものです。下の段の『有限』とは、私たちが生きている娑婆の五感の世界のことです。『無限』と『有限』、神と人間などの二項対立で考えているものは、哲学的にたくさんのバリエーションがあります。しかし、言っていることは同じです。今回のテーマに関して言えば、『無限』の区分に浄土が入り、『有限』の区分には娑婆が入る。無限なる神と人間がどのようにして出会うかという西洋の哲学の歴史に日本の仏教の言葉を重ね合わせて、西田は「浄土は娑婆に現れるのか?」と書いただけなのです。西田は、「世界」と「私」というものが分かれているものだという西洋の考え方をずっと若い頃から批判していて、このように記しています。
早くから実在は現実そのままのものでなければならない、所謂物質の世界といふごときものは此から考へられたものに過ぎないといふ考を有つてゐた。
西田幾多郎「版を新にするに当たって」『善の研究』
ここで西田が言っている「実在」とは西洋哲学の系譜でいう形而上学的な無限なるもののカテゴリーに属し、「現実」とは私たちの住んでいる有限なる世界、娑婆を表しているのです。だから、西田が若い時に書いたこの文章と、亡くなる前に書いたさきほどの文章とは、同じことを言っていることになるのです。実際、西田は同じことを生涯繰り返し言っています。では、NATSOUMIさんの質問にあった、深く掘り下げていく行為と西田の哲学の関連ですが、次の言葉が当てはまると思います。
唯或(ただある)与へられた最深の動機に従うて働いた時には、自己が能動であって自由であったと感ぜられるのである
西田幾多郎「第1編 純粋経験」『善の研究』
つまり、これは有限なものに囚われないで、無限なものに向かっていく動機に従って動いた時には自由だと翻訳できるわけです。西田は『善の研究』で「深い」という言葉を何回も使うのです。無限と有限の一致というのも他にあります。
我々の真の自己は宇宙の本体である、真の自己を知れば密に人類一般の善と合するばかりでなく、宇宙の本体と融合し神意と冥合するのである。
西田幾多郎「第3編 善」『善の研究』
日常的に意識できる自分の存在よりももっと大きな存在との一致を目指して、自分の中から湧き上がる要求に従うべきだと書いてあるのだと思います。日常でスマホを手に取ってスイッチを入れるといった意志ではなくて、自分が生きている限り働いている深部の意志にアクセスした時に自由になると西田は語っているように思います。その際には、自己は無限なるものに繋がっているという考えが彼の中にあったのではないかと思うのです。
NATSOUMI:
私もこのシリーズ「生/静のゆらぎ」は、ちょうど娘が保育園に通っていた頃で、遠くに行けませんでした。必然的に私の撮影フィールドは子どもと一緒に歩いていける範囲に限られたのでした。でも、遠くに行けないという制約がかえって良かったと思っています。限られた予算で限られたカメラで作品を作っていくという意志がより深く、能動的に動いていると感じます。以前、フランスにいた頃にルポルタージュ等の取材では、出版社から予算もついて取材に出ることになります。でも、この個人的な作品にはお題も予算もありません。でも却ってその方が自分のやりたいことをやったという達成感があります。自らの要求に従っているからですね。それこそ、有限が無限だと言う西田の言葉に繋がるものがあると思います。鈴木さんにお伺いしたいのですが、哲学の系譜において「見る」と言うことと、人のアイデンティティーには何らかの関連性があるのでしょうか?
西田・ベルクソン・フィヒテの視覚論 〜眼差しは手を伸ばし触れることと同じである〜
鈴木:
それは、西田がずっと考え続けていたことで、宗教的次元において現れるような統一性や同一性に極まると思います。それを求めることが重要で、ここに立ち至って物事を見て、考えることによって、娑婆が浄土になるのだと思うのです。ただ、屏風の写真を撮られたのが一瞬であったように、この世においては束の間のもので、永続することはないですね。大拙も、浄土はちょっと居たら戻ってくるくらいがちょうどいい、と言っていますが。実際に、終始、娑婆と浄土が一致して生きていたら、体力が持たないかもしれません。でも西田は「国家とは、此土に於いて浄土を映すものでなければならない」と最後の遺言として残した論文に記しています。「なければならない」は、英語のMUSTに翻訳できるかもしれません。つまり、この世があの世を映すような生き方で生きなければならないと言っているかのようです。
NATSOUMI:
強い意志を持っていないと辿り着けないと言うことですね。
鈴木:
視覚については、フランスの哲学者ベルクソン(*4)にも「視覚論」があります。西田も初期の論文「美の本質」で言及していました。さらに、視覚論の系譜を辿ると、アリストテレス(*5)が最も古いかもしれません。「人間は最も見る事を好む」と言っています。哲学的にも、見るということはどのような働きで、他の感覚とどう違うか?という議論があります。普通、手で触れることと目で見るということは違うとされますが、ベルクソンにならって、西田は「目」と「手」はとても近いと言っています。さらに、目で見るということは、外界をただ映しているのではなく、自分の手を加えた世界を見ている、とも言っています。つまり、目は「意志」を持って、見るべきものを見ているのだというのが西田の「視覚論」だと言えます。
*4
ベルクソン(アンリ) Henri Bergson
(1859-1941年)フランスの哲学者。エコール・ノルマル卒業後、高校等の教職を経て1900年コレージュ・ド・フランス教授に就任。「生命の躍動(エラン・ヴィタール)」や、時間の本質を説いた「純粋持続」の概念で知られる。その思想は西田幾多郎の「純粋経験」の概念と深く通じる。西田の思想形成に大きな影響を与えた。
*5
アリストテレス Aristotelēs
(前384〜前322年) 古代ギリシャの哲学者。プラトンの弟子。プラトンがイデアを超越的実存と説いたのに対し、それを現実在に形相として内在するものとした。アテネに学校リュケイオンを開いてペリパトス学派(逍遥学派)の祖となる。「オルガノン」(論理学書の総称)「自然学」「動物誌」「形而上学」「ニコマコス倫理学」「政治学」「詩学」などを著し、古代で最大の学問体系を樹立した。
NATSOUMI:
見るという「意志」がないと見えない世界もあるということですか?

鈴木:
そうですね。西田はこのように論じています。
普通の視覚の世界というものは、我々の普通の眼に対する視覚の世界であり、視覚が或程度まで物質界を切り開いたのである、云はば手を用ひないで眼自身の力によって彫刻させられた彫像、描かれた絵画である。
西田幾多郎『美の本質』1920年
写真には詳しくはありませんが、NATSOUMIさんの写真は、ご自分の意志が働いた結果ということになるわけです。西田幾多郎には、美学者の植田寿蔵(*6)という弟子がいますが、彼は西田の視覚・美学論を発展させて、例えば次のように言っています。
一人の画家が一輪の花を描いた。……それは「見られるもの」である。みられるものは、根源的に、「見られるべきもの」である。それが視覚の深い意思を負うて存在するからである。見られるべきものを一人の画家は見なかった。別の一人の画家は見た。描くことによって真に見た。最も深い意味において、「なすべきこと」をなしたのである。
植田寿蔵『傑作と凡作の論理』
*6
植田寿蔵 うえだ じゅぞう
(1886-1973)植田寿蔵(鍔)[美学]三高から京大文科(美学美術史)卒。深田康算に学ぶ。
九大、京大教授を歴任。西田の思想、そして西田がわが国に紹介したコンラート・フィードラーの思想に強い影響を受けた芸術哲学・美学思想を展開した。『芸術哲学』(1924)や『視覚構造』(1941)、『日本の美の精神』(1944)などの著作がある。京都哲学会の機関誌『哲学研究』の編集にも力を尽くした。

NATSOUMI:
見ようと思わない画家には見えず、見ようという「意思」(これまでは「意志」を使っていますが、ここは植田の用法に従っています)がある画家には見え、それが描けたと言っています。写真でも見る「意思」がシャッターを切らせるのだと思うのですが、どうでしょうか?確か、フィヒテ (*7) も見る行為について書物で論じていたような気がするのですが?
鈴木:
前にお話しした言葉ですね。フィヒテ (*7) は1803年の『人間の使命』と言う書物で「あなたが自分の外側に眼差すものは、常にあなた自身である」と語っています。西田も知っていただろうし、植田寿蔵も読んでいたと思います。普通、何気なく私たちが眼差しているという行為は、手を伸ばして触ることと違うと思われるかも知れませんが、手で捕まえているのと同じぐらい、自分の意志が介在することだと思います。だから、そこで「見るべきもの」を「見よう」という意志が大切なのです。
*7
フィヒテ Johann Gottlieb Fichte
(1762-1814年) ドイツの哲学者。ドイツ観念論の代表者。ベルリン大学教授、初代総長。カントに傾倒し、その推薦によって、処女作『あらゆる啓示の批判』を1792年に匿名出版。自我という唯一絶対の統一原理からカント哲学の一切を方法的に導き、その際、実践的自我を理論的自我の可能性の根拠とすることによってカント哲学を発展させようとした。一切の存在は純粋な絶対的自我が自ら定立した非我を通じて自己を展開する<事行>にほかならぬとする。この事行そのものに価値を置く彼の哲学は倫理的観念論とも称された。なお、1807年1808年のナポレオン占領下のベルリンで『ドイツ国民に告ぐ』と題する連続公演を行い、ドイツの再建を説いた。著『全知識学の基礎』(1794)、『人間の使命』(1800)など。

NATSOUMI:
私という存在は有限で決まった場所にしかいられません。でも、写真になった時に、眼差しだけの「生」の私になる感覚があります。私にとって、スマホで写真を撮るときと、カメラのファインダーを覗いて写真を撮ることは全く違う行為です。ファインダー越しの世界は、深く潜っていくような感覚があります。またフイルムで撮る場合は、暗室の作業がありますので、再び暗闇に溶け込んで作品を生み出すことになります。そこで、眼差しだけの剥き出しの自分とまた対峙することになるのです。その時に私はようやく「成すべきことを為した」と思います。
鈴木:
そう思いますか?
NATSOUMI:
はい!そのプリントができて初めて自分の中の世界と外の世界のピントが合ったように感じます。また、更に自分が撮った写真を展示することによって、心のピントが精緻になります。
鈴木:
では、作品としてプリントしてはじめて、やった!と思うのですか?
NATSOUMI:
そうです。プリントしてはじめて、その達成感が味わえます。今回、岩野平三郎製紙所さんが作った手漉きの越前和紙を用いて会場にある二つの作品を仕上げました。他者の存在があってこそ、出来上がる写真もあります。写真には2パターンあると思うのです。ひとつは、自分の内面に深く潜って、光を当てる行為。もうひとつは、コミュニケーションとしての写真です。今、この世に流通している写真の多くは、言葉の代わりとしての写真だと思います。SNSがその良い例だと思います。


「Craquelures ひび」 (左)「Métamorphorse 変身」(右)岩野平三郎製紙所雲肌麻紙 © NATSOUMI

鈴木:
SNSの映える写真とかですね?
NATSOUMI:
その通りです。言葉の代わりとしての写真の他に、深い関わりを示すための写真というのもあります。今回の展示には、The Raw Frissons of Lifeという英語のタイトルがついていますが、2014年に娘を出産し、子育てが中心の毎日。そこで、特異な視点を制約のある日常の中に見出すということでした。言うなれば、形而上学と日常生活のフュージョンです。でも、そういう瞬間には、計算づくでは遭遇できません。ほとんど偶然です。西田幾多郎は「余は、psychologist, sociologistにあらずLifeの研究者とならん」と記していたように、西田哲学に通底するのはlife、生への無限なる問でした。私は西田哲学に触発され、思い切って計算や思考、また言葉とも距離を置いて「偶然」に身を任せることにしました。子育てをしていく中で、シンプルな気づきを得ました。スマホのタッチ撮影ではなく、光学ファインダーを覗いて写真を撮るという行為は、なかなか子どもには難しい。そもそも、小さな赤ちゃんの世界には、自分と母親の違いがありません。生後数ヶ月ぐらいには、ハンドリガードといって、自分の手を天に突き上げて不思議そうに見つめる娘の姿がありました。
鈴木:
で、手が重たくなって、頭にごつんとしたりするんですよね(笑)

NATSOUMI:
そうです(笑)。そこでようやく自分の手だと認識するのです。外の世界を発見し、モノを見る力(視覚)と体を動かす力(脳・運動機能)を養い、見たいものに焦点が定まって、自分の体を自由に動かすことができるようになったりしていきます。一眼レフは物差しでもあると思うのです。自分の内なる世界と外の世界との均衡が取れ、シャッターを切る行為だと思うのです。先ほどのフィヒテの言葉に触れましたが、私の娘が見つめた世界というのは、すべて彼女自身でもあると思うのです。セミの脱皮を捉えた「Métamorphorse 変身」は、私の娘が生まれて初めてピントをうまく合わせて一眼レフで撮った写真です。彼女が見つめるセミが脱皮している、ということは、彼女自身も脱皮をしている事にも繋がる。このショットに至るまで、わが娘が撮った写真は、焦点が合っていなかったり、タイミングがずれていたりしていました。つまり、この作品は彼女が生まれてアイデンティティーが確立される証拠であり、娘と私の関係性を示すコミュニケーションの証でもあると思うのです。
鈴木:
実は、西田は「映すreflection」という語を、初期には、「写す」と書いていました。そのときの言い方だと、今回の話は、「娑婆が浄土を写し、浄土が娑婆を写す」ということになるわけですが。つまり、「映」ではなく、写真の「写」だったのです。
NATSOUMI:
そうだったのですね。これからも娑婆から浄土を写していきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
鈴木 亮三(すずき りょうぞう)
1975年生まれ。上智大学文学部、東北大学文学部卒業、東北大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は、近代ドイツ・日本哲学研究。現在、石川県西田幾多郎記念哲学館研究員(かほく市職員)。共著『新カント派の哲学と近現代』(2025)『ヘーゲル講義録入門』(2016)他。論文「新資料報告 鈴木大拙『浄土系思想論』謹呈本の発見と西田幾多郎による書き込みについて」(2026)「「底」への超越と「私と汝」」(2023) 他。
註
*1,*2,*3,*4,*6 巻末「人名解説と索引」(藤田正勝編)『西田幾多郎全集 第二十二巻』をNATSOUMIが要約
*5,*7 日立システムアンドサービス『百科事典マイペディア』 2008年度版から引用し、若干の修正を加えた。
NATSOUMI写真展
The Raw Frissons of Life 〜生/静のゆらぎ〜
協賛 株式会社 岩野平三郎製紙所
協力 石川県西田幾多郎記念哲学館
後援 株式会社 北國新聞社
